自分探し
って、座禅くんだり、滝に打たれたり、断食したり、
そういう方法もアリだろうけど、
日常の中でも十分できることかと。
というか、日常のほうが、“自分探し” のヒントがてんこ盛り。
最初は内側だけに目を向けても、なかなかわからないことも、
外側が“自分”を解るための材料だと知れば、それを使わない手はない。
今の体験、今、目の前にあるもの、今感じている感覚。
これがすべて、自分を知るための材料。
今の体験をした、そしてこう感じた。ということは?
そう感じる感覚は、うわべの思いか、その奥底にある認識していない念いから発せられている思いなのか?
ここのチェック、そしてそのジャッジ。
とくに、“ネガティブ”と呼ばれている感覚が最もおいしい材料。
これをどう感じているか?
その感じは本物か?
うわべか、心底か?
そこんとこのジャッジ。
そのジャッジの時に有効な手段が、“瞑想”
慣れてくると座禅くんだり、目を閉じてじっとしたりとか、いらないんだけど、
最初はあった方がいいかもしれない方法。
要するにやることって、
① どう感じたか?
② ネガティブ(or違和感)であれば自分探しの材料
③ そう感じる自分って、結局そう信じ込んでるからだよね?という自分への確認
④ 上記の確認を客観的に分析していく。あるいはそれが苦手な人は、“瞑想”する
⑤ あ~そういうことね、という、自分の中の凝り固まった思い込みが自分の中に見つかる。
こんなサイクルを日常の中でやっていくだけ。
ただ繰り返しこのルーチン。
そうすると、どうなるか?
結果的に、“悩まない” 自分が出来上がる。
苦しまない、悩まない、煩わない、困らない、落ち込まない、
そんな風になってしまいます。
そうなろうとする必要はなく、否が応でもそうなってしまう。